王の玉座の真下には、誰ひとり存在を知らぬ階段が隠されていた。石造りの段を降りるにつれ、地上の喧騒は次第に遠のき、やがて世界そのものが息を潜めたかのような静寂が訪れる。最下層に辿り着いたブダナシャが見出したのは、黒曜石の棚が幾重にも連なる巨大な記録庫であった。その棚には無数の薄い水晶片が収められ、それぞれが、同じ一日に死を迎えた者たちの最期の証言を保存していた。
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しかし、そこに刻まれていた言葉は、決して一つの真実へ収斂してはいなかった。ある者は王軍こそが都市を焼いたと語り、別の者は反乱軍の仕業であったと証言している。また、王が焼却を命じたと断言する者がいる一方で、王はそれを阻止しようとしていた、と語る者もいた。証言同士は互いを否定し、いずれにも決定的な虚偽の痕跡はなかった。三百年という歳月を越えてなお、あの日だけが、幾つもの相反する記憶を抱えたまま眠っていたのである。
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その記録庫の中央には、他のものとは異なる巨大な水晶が置かれていた。ブダナシャが掌を触れると、淡い光が水晶の内部を走り、かつての王宮の光景が静かに浮かび上がった。そこにいたのは、まだ翼の数も完全には定まっていなかった若き日の彼女だった。王と重臣たちを前にして、彼女は一枚の都市地図を広げ、敵軍の進路と住民の避難経路を指で追っていた。
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敵軍はすでに迫っていた。会議の末に示された案は、都市の中心部を封鎖し、王軍を撤退させ、住民を北門から脱出させたうえで、王宮そのものを敵軍の囮とするというものだった。若きブダナシャは地図を見つめたまま、長い沈黙の後に口を開いた。「選択肢を持たぬ者であっても、最後には何かを選ばなければならない。」その言葉を、王は否定しなかった。そして、作戦は決定された。
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だが、避難が始まった直後、一人の重臣が密かに北門への命令を書き換えた。門は開かれることなく閉ざされ、逃げ道を失った人々の背後へ、戦火が迫った。炎は街路を呑み込み、叫び声は城壁の内側で幾重にも折り重なった。若きブダナシャはその光景を目の当たりにすると、命令も王の許可も待たず、燃え盛る街へ踏み込んでいった。
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その瞬間、彼女の内側に眠っていたものが目を覚ました。翼は天使のそれではなく、災厄そのものを思わせる異形へと変じ、巨大な赤き竜の姿が炎の中から立ち上がった。地獄の火焔は敵軍を焼き払い、戦場そのものを赤黒い光へと染め上げていった。しかし、その炎は敵だけを選別することができなかった。街の一部もまた、その灼熱の中で崩れ落ちた。
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記録の光景が途切れると、ブダナシャはしばらく言葉を失った。やがて別の水晶に記された王の声が、暗い記録庫の中へ静かに響いた。「今日より、この真実のすべてを知る者があってはならない。」王は、生き残った者たちが互いに罪をなすりつけ、復讐を繰り返すことを恐れていた。だからこそ、彼は真実の一部を封じ、単純化された一つの歴史を民に与えた。嘘によってではなく、嘘に似た沈黙によって、国を再び生かそうとしたのである。
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ブダナシャはそこで初めて、自分が単に忘れ去られた存在ではなかったことを悟った。彼女は三百年前の時代が残した「証人」であり、同時に、その時代が背負った罪を映し出す証拠でもあった。だからこそ彼女の名は消され、記憶は断片へと分割され、誰か一人の物語として語ることさえ許されなかった。彼女自身が生き残っている限り、あの日の完全な真相は、決して死ななかったのである。
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そのとき、記録庫の奥から白髪の老人が姿を現した。彼の手には、王家の紋章が刻まれた古びた短剣が握られていた。老人はブダナシャを見つめ、静かな声で告げた。「お前が知ったのは、まだ半分に過ぎない。本当にお前へ去ることを求めた者は、王ではない。」
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ブダナシャの視線が、老人の背後へ向けられる。そこには、これまで一度も開かれた形跡のない鉄の扉が立っていた。その中央には、幾重にも重なった翼と、その中心で燃え盛る一人の人影を象った紋章が刻まれている。老人は短剣を扉の鍵穴へ差し込みながら、低く続けた。「この中にあるのは、お前自身が三百年前、誰かに託したものだ。」
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扉の向こうに何があるのか、ブダナシャには分からなかった。ただ一つだけ、これまでとは異なる恐怖が胸の底から湧き上がってきた。それは、自分を裏切った者が誰なのかを知ることへの恐怖ではない。なぜ自分自身が、あの日、この国を離れることを選んだのか――その理由を知ってしまうことへの恐怖だった。
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鉄の扉は、ゆっくりと開き始めた。錆びついた蝶番が長い眠りから目覚めるような音を立て、暗闇の奥から、かつて彼女自身の手によって封じられた何かの気配が漏れ出してくる。ブダナシャは逃げなかった。ただ、扉の向こうを見据えたまま、自分の過去が今度こそ自分自身に何を告げるのかを、黙って待っていた。
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